八王子古本まつり

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第16回八王子古本まつり 特集「百薬」第16回八王子古本まつり 特集「百薬」

第16回 八王子古本まつり
特集「百薬」

2017.5.3-5.7 10:00-19:00(荒天中止)期間終了

第16回 八王子古本まつり SPECIAL LECTURE
森で出会う百薬たちの世界

ひにち:
2017.5.4 14:00-17:00
ところ:
となりわ / 八王子市横山町9-10
参加費:
1,500円 + 1 order (満員御礼)

第16回 関連ニュース・トピックス

公式レポート(第三回)SPECIAL LECTURE「森で出会う百薬たちの世界」

15分のブレイクタイムの後は、小川康さんと坂田昌子さんによるトークショーです。

「効く」とか「効かない」とか言える僕たちって

坂田

坂田

小川さんの話、楽しいでしょ?(笑)「薬草はいいよ~」とか「これが効くよ、あれが効くよ」って話を聞きに来た人もいると思うけど、いい意味で裏切られたでしょー?(笑)

小川さんに聞きたいのですが、日本だと病気になったら病院に行って、薬をもらって「治った」とか「治らない」とか考えますよね。私は国際会議とかに行くことがあって、そういうところで色んな民族の方にお会いすることがあるんですけど、以前ある先住民の代表の方が「健康と病気は真逆ではない。病気じゃなかったからといって健康とは限らない。だから、西洋的な考え方で、全部を『健康か病気か』っていうふうに考えないでください」っておっしゃっていたんです。

私はチベット医学はよくわからないんですけど、小川さんから見て「健康か、病気か」とか「治る、治らない」とか「効く、効かない」とか、私たちのそういった感覚について、どのように思ってるのか聞かせてほしいです。

小川

小川

答えがちょっと長くなっちゃうんですが。
チベットから日本に帰ったときに「日本は健康ブームだな」って思ったんです。テレビでも色んな健康番組をやっていて、非常に変わった民族だな、と。それは良いとか悪いって話ではなく、日本人はそういう特性を持った民族だ、ってことなんだと思うんです。
チベットの人たちが、普段から健康の話をすることはあんまりないです。「暮らしに薬草を取り入れましょう」なんて、チベットでは聞いたことがないです。

以前読んだ、とある先生の本に「今の日本の奇跡は、多くの人が医療へのまなざしを持っていることである」というようなことが書いてあったんです。それを読んで、すごくホッとしたんですよね。
今日会場にいらした皆さんと出会えたのも、皆さんが「医療へのまなざし」をお持ちだからです。「一般の人たちが医学に興味がある」という、私たち日本人の特性を自覚したら面白いのではないでしょうか。

ひとつひとつの草木に名前をつけて、それを覚えるというのも、日本人の面白い感性だと思います。チベットの人たちも草木に名前はつけるんですが、例えばトリカブトは「毒」って書いてあるんですよ(会場笑)それはそれで分かりやすくていいですよね(笑)

日本の草木には、生活に根差した名前がついていると思うんです。油を濾すから「コシアブラ」とか、色々説はありますが、よく燃えるから「ヨモギ」とか。暮らしがあって、名前がある。所有を生むための名前ではなくて、関係性があって、その名前がついている。僕は、そういう文化を取り戻したいんです。

ここで改めて僕たちの価値観をちょっと疑ってみよう。
「効く」とか「効かない」とか言える僕たちってなんなんだろう?

薬の歴史の大きな分岐点は、石油によって大量合成が可能になったこと。それより前は、西洋も東洋も大差なかった。薬なんてなかった。チベット医学だって「経典はある、けれど薬がない」そういう時代がありました。
チベット医学は、ないものの代わりを身のまわりから見つけて代用する知恵だと思っています。それほど不自由な時代があったんです。日本にだってそういう時代がありました。
そういうことに対して「効くか、効かないか」って言うのは、選択の自由がある今の恵まれた日本だからこそできる、良い意味での上から目線だと思います。

今の時代、みんなが気軽に薬を買えるようになりました。使われずに捨てられる大量の薬が生まれるほどに。
結局、豊かな時代なんだなあって思うんです。選べるって、いいなあって。捨てられるほど薬がある。出しすぎのシステムは気になりますが、ない時代から考えたら、絶対、ないよりは良い。

押し付けるわけじゃないんですが、僕たちが山に入って一生懸命取ってきた薬草で作っている薬は、利益は出ないけれども大事に使ってほしいという気持ちがあります。薬に対するそういう価値観を伝えたいです。

僕が一番問題だと思っているのは、民衆と製薬会社の会話が成立していないことなんです。政治には民衆の声がまだ届いてると思うんです。なんだかんだで世論が政治を動かすじゃないですか。
そんなふうに薬について、僕たちがもっと考えて、勉強して、提案したり、疑問を呈していくしかないと思います。

みんな、もっと対話しようぜ

坂田

坂田

私の周りは「西洋医学は嫌、薬なんか飲まないほうがいい」って人が多いんです。近代的な医学と東洋医学や漢方とかが対立するものとして考えられている。環境に目覚めた人は「あんなもの使っちゃいけない」って言ったりする。気持ちも分かるけど「それで良いのかな?」って、小川さんの話を聞くとちょっと考えるんですよ。全部裏返しになってるんじゃないかな、って。

第一部で小川さんが言ったように、薬ってもともと「人のために良くしたい」ってところから始まっている。そこは西洋医学も東洋医学も同じはず。薬の話からずれるかもしれないけど、これって色んな話につながるなあ、と。例えばインフラ工事とかも一緒じゃないかな? と。

小川

小川

なんとなく分かります。
そもそも日本人は二項対立が好きですよね。「西洋、東洋」とか「和製、外国製」とか。「鬼は外、福は内」じゃないですけど(笑)たぶん考えやすいからなんだと思います。
ナチュラルなもの、ケミカルなもの、と対立させることで、守りたい自分たちのテリトリーがあるのかな? と思うところもあるのですが、僕は「みんな、もっと対話しようぜ」ってことが言いたいです。

ところでみなさんがよく使っている「西洋医学」って言葉、なんだか漠然としていますよね。何をもって「西洋医学」と言うのでしょうか。

「東洋医学」って言葉が生まれたのは明治時代です。その頃の「西洋医学」って、いかにも凄そうな気がするでしょ? でも当時の西洋医学の技術は、日本とあんまり変わらないんです。ただ、システムと外傷を処置する技術は西洋医学のほうが優れていた。戦争に向かう日本政府がほしかったのは、そこなんです。

第二次世界大戦末期、アメリカ政府がペニシリンの大量生産に成功して、そこで初めて大きく差が開いたと思っています。そこまでは、西洋医学も東洋医学も、その技術に大差はなかった。

私たちは過去からしか学べない

小川

小川

衛生状態だって、当時のロンドン、テムズ川はひどく汚かったそうです。みなさん、江戸も不衛生だったってイメージありませんか? 実は江戸の衛生状態は、ものすごかったんですよ! 江戸はキレイ! いや、僕、江戸に住んだことないんですけど(笑)(会場笑)

坂田

坂田

歴史家によると……、

小川

小川

お、江戸っ子?

坂田

坂田

いや、関西人なんだけど(笑)(会場笑)

当時の100万人都市は、江戸、ロンドン、パリ……。ロンドンはテムズ川。ものすごかったそうです。糞尿まみれで、大気汚染もひどくて、子供が次々病気になっちゃう、みたいなね。フランスはセーヌ川、こちらもどろどろで。一方、江戸の隅田川は、白魚が泳いでいる、と。
「当時はヨーロッパが進んでいて、江戸は遅れていてダメだった」みたいに言う人もいるんですけど、実際の江戸は非常に優れたシステムをもっていた都市だったんです。

古本屋をやっていると「近代なんとかの夜明け」みたいなタイトルの本が出てくるんですよ。近代こそが素晴らしい、みたいな。それを目にすると「じゃあ、それまではダメだったの?」って思うんです。

どの時代にも優れたところとダメだったところがあって、私たちは過去からしか学べない。
今、歴史の世界で、江戸の良さの見直しがはじまっているんです。そういうのって、とても大事だと思う。

小川

小川

みなさん、無意識に「西洋は優れている」と思っていませんか? その無意識をもう一度見つめ直してほしいんです。そもそも何を指して「西洋」って言ってるんだろう?

そんなに急いで結論出さないでほしい

小川

小川

僕は、葛藤からいろんなものが生まれると思っているんです。

チベットのことに話を戻します。
「チベット医学」というと、それをやっている人たちが、それを信じて邁進していると思われるんですが、それは大間違いです。10年間、朝から晩までチベット人と寮生活をしましたが、その間「こんなこと勉強して意味あるの?」ってことを、ずっと語り合いました。

チベット医学には経典がありますが、実はそれほど実践の書ではないんです。だけれども、それを一字一句間違えずに覚えなくてはいけない。そのことに対して「いいのかな、これに俺たちの青春時代を捧げていて」って話すんです。僕は30歳過ぎてたので青春もなにもないんですけど(笑)そういう葛藤ってすごく大事だなって思うんです。

だから、みなさんも「自然のものはいい!」じゃなくて「自然のものって本当にいいのかな?」とか、逆に「化学のものって本当にいいのかな?」とか、「いいのかな? これで」って考え続けることで、ちょっとブレーキをかける感じが大事じゃないか、と。

坂田

坂田

私は高尾山でガイドをやっていて、よく勘違いされるのは「ガイドの役割は、自然の素晴らしさを人に教えることだ」って。そう言われると「ええ!?」って思うんですよ。「自然が素晴らしい」って、なんで無条件で決まってるの? と。

「自然とは無条件に素晴らしく、素直で、そこに帰ると私はありのままの姿でいられるの」って、そんなわけないと思うんですよ。実際に山に入ると、服が裂けるようなトゲがあるものとかある。それが面白かったりするんですけど。

高尾にもトリカブトがあるんですけど、年に1人くらいは死ぬんです。ニリンソウと間違えちゃうんですよ。花が咲いている時期は違いが分かるんですけど、芽生えの頃はそっくりなんです。

薬も薬草もそうだと思うけど、もっともっと多様なものだらけで、あいまいなものだらけで、良いのか悪いのかもわかんない。「名前なに?」って言われても、そっくりだけど微妙に違うとか、個体ごとの顔が違う、とか。
それは人間だって同じじゃないですか。「人間」ってくくられると困るでしょ? ひとりひとり目の色だって、髪の毛の色だって、日本人でも微妙に違ったりとか。そういった多様性に目を向ける。良いか悪いか、そんなに急いで結論出さないでほしい、ってよく思うんですよ。

小川

小川

僕は山に入る場所をつくりました。みなさん、ぜひ体験しにいらしてください。あまりハードルが高いことは言いませんから(会場笑)